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主家の分家

Posted on February 1st, 2007 by Author

しかし次第にこの原則は崩れ、財政難などから、藩主の庶子は、養子縁組先がないと、家老はおろか給人級の家臣として分家させられることも珍しくなくなった。分家筋で家老職をはじめ家臣の役職に就くことは、主家の親戚から家臣になったことを意味し、主家断絶時の相続権が無くなったと見なされることが通例であった。 江戸時代になると、幕府の置かれた江戸には、各藩・将軍家の旗本屋敷(江戸屋敷)が置かれ、ここに在勤した家老を江戸家老・江戸詰家老などと呼んだ。 一方、知行地に在勤した家老を国家老・在所家老と呼んだ。主君が城主以上のときは城代家老も置かれたが、主君が城主格や、無城のときは、城代家老は、当然に設置されなかった。

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  • 大藩の家老
    大藩の家老は大名並みに1万石以上の石高を有し、自身の知行地に城や陣屋を持つものもあった。1万石以上の知行地を持つ家臣を大名分と呼んだ。 江戸時代の家老として最も高禄であった家系は、加賀100万石の本多家5万石である。上杉景勝(120万石)の家老、直江兼続(直轄6万石 寄騎領24万石 計30万石)の養子となった本多政重(5,000石)が、関ヶ原の合戦後に大減封を受けた上杉家を退去して、加賀藩前田氏に仕官して、本多姓に復したのが始まりである。「加賀藩の領地の一部(越前)を幕府に返還せよ」との命令を撤回させた交渉の勲功で、大加増を受けた。